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写真は白洲次郎氏


by dskblog
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失われた10年?

いろいろな友達から、「大学時代のオマエはもっとカッコ良かったのにな」と言われて、思い悩む今日この頃であります。

まあ、あん時ってリスク無いし、複雑じゃないし、楽なもんじゃないか。

丸く優しくなったってことで。。。
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by dskblog | 2006-10-25 01:36 | 想い
備忘録なんだから、忘れないように書いておかねば!


で、2006年、現在進行形で強く実感しているのだが、やっと最近になって他人の気持ちを考えるとか、配慮ができるようになってきたのである。情けないことに、今更だが。。。


今までの自分と言うのは、一見、気を遣ったりしているようで、でもすごい浅いレベルだったり、自分の過去の成功パターンや正論めいた価値観の押し付けをしていたんじゃないかと、痛感するようになった。


例えば、相談を受けることがある。

前だったら真剣に話を聞いて、ちょっと言葉を選びつつ、励ましたり、こういう方法があるんじゃないかと自分なりの意見を述べて、そして出来ることがあればいくらでも協力する姿勢を示していた。

大事な仲間の力になれている自分に、どこかやりがいや頼もしさも感じていた。


しかし、最近、これは違うんだと思うようになった。下手すると、自己中心的な態度によって、かえって悩みを複雑にしたり、相手を追い込むことになっていたのではないかと、反省すらするようになった。


だって、相談に来る場合、話を聞いて欲しいのか、深刻さを打ち消して欲しいのか、同情をして欲しいのか、忘れさせて欲しいのか、それとも厳しい現実を突きつけて欲しいのか、解決策を示して欲しいのか、何か具体的な協力をして欲しいのか、きっと相手のシチュエーションによって、色々と相談に来る目的は違うんじゃないでしょうか。

もちろん、相手の目先のして欲しいことをするだけが全てでは無い。しかし、ここで大事なのは、本当に相手にとって必要な接し方をすることのはずだ。

それにも関わらず、一方的に「俺なら、絶対にありえないね。」「俺も同じような経験したことがあってさ・・・」「こういう場合、こうするのが一番だよ」「良いよ、それ、俺が何とかしてやるから言えよ」と言葉を刺していたとすれば、何て残酷なことをしてしまったのかと思う。

特に自分が調子の良い好調なときほど、弱っている相手に、良い気になって自信満々に自分本位のあるべき論を押し付けていた。

さらに怖いのは、具体的に何か行動を起こしているのに、それに対して相手が消極的だとすると、「俺がここまでしてやっているのに、何でオマエは頑張れないんだ。本当にダメな奴だな」と言う傲慢な気持ちにすらなっていた気がする。

ふと思い返せば、あれは僕の意見に頷いていたんじゃなくて、頷かされていたのかもしれない、だからこちらの親身に励ましに対して、むしろ弱気に困惑した顔を僕に向けていたんじゃないかと、思うことがしばしばある。


相談を例に出したが、何か相手と上下や強弱の関係ができる場面では、等しく当てはまる本質だと思う。



正論で言えば、嘘はいけない。親友や仲間から嘘をつかれると、とても腹が立つ。だから、「俺を相手に嘘なんか言うな。そんな関係じゃないだろ」「友達相手に嘘つく奴は最低だ」とか、言ってしまう。

でも、本当に親友だったら、どうしてその親友が自分に嘘をついたのかを、相手で無く自分に問うべきなんじゃないか。むしろ、「ひょっとすると、こいつは嘘をついているんじゃない。俺がこいつに嘘をつかせてしまったんじゃないか」と言うことが真実かもしれない。親友面しているけど、本当は全てを打ち明けられるだけの信頼が、こっちに無かったら、責められるのは自分じゃないか。






当たり前だが、自分と他人は違う人間である。違う価値観を持っていて、違う経験をしてきている。僕にとっての正解が、その人にとっての正解であるとは限らないし、そもそも似ているように見える状況だってまったく違っているに決まっている。


にも関わらず、相手が弱っていて、こちらが調子が良い時だと、つい自分が全て正解であるような錯覚に陥り、自分の価値観や、自分で上手く行った成功体験を強引に押し出すのは、相手の人格を無視したとても無礼な行為だろう。


本当に正しい姿勢とは、相手がどんな状況で、どんな心情なのかを話を聞きながら全力で察してあげて、そして僭越ながらもし僕が何か力になれることがあればそれは何なのかを必死に気づき、そしてそれとなく仄めかすことだと、この夏ぐらいから漠然と気づき始め、そして最近、わかるようになった。


今まで、自分がどれだけ鈍感で、勘違いしたお節介や説教をしていたんじゃないかと、襟を正される思いの日々である。


三十路直前だけど、こういうことに心の底から気づき、何の奇麗事でも無く、そう思えている自分に、成長を感じつつ、残りの人生を無自覚に生きて周囲に迷惑をかけないようにしなくてはと思っている。

30歳以降は、本当にI CARE YOUの心を発揮するよう、もっと自分を磨きたい。
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by dskblog | 2006-10-16 19:20 | 想い

秋の夜長の備忘録

最近はMixiの日記で一言書くことが多いのだけど、こちらもたまには更新。

今日、外を歩いていて、ふといつどこで覚えたのか定かじゃないが、「秋の夜長」と言う言葉をシミジミと実感した。

まさに「秋の夜長」とはよく言ったもので、10月中旬ともなると18時頃にはかなり暗くなっていて、夜長な時間を過ごすことになる。時間的なことを言えば、実際は、12月22日頃の冬至が一番、”夜長”になるはずだが、夜も明るい夏から暗い時間の増える秋への移り変わりから、感覚的には秋の夜長となるのだろうか。


で、こんな夜長な季節には、いろいろと一人考えごとをしてしまうもので、今日も漠然と自分のこれまでの過去を振り返りながら、自分が人間的に成長した時期っていつなのかなとか物思いにふけていた。

何を持って成長と言うのかは難しいが、意識の変換と言うか視座が変わるような気づきがあって、それが自分にとって当たり前の人格になっている時じゃないかなと。


この数年では、たぶん2000年、2003年、2006年(現在進行形)に、そんなBreakThroughを実感している。

不思議なことにこうやって見ると、3年おきか!


そんなわけで、備忘録;


2000年は、就職活動を終えて、それまで勢いだけで突っ走っていた自分が、かなり将来への意識が高まり社会人となることへの心構えを持ち始めた時期だと思う。

正直、就職活動中は、あまり仕事とか給与とか生活とか考えずに、行き当たりばったりで、ノリでおもしろそうな企業を、ほとんど準備もしないでアドリブで受けて、それでもどこも最終先行の近くまであっさり行くので、ますます何も考えていなかった。

それが内定してから、卒業後のあり方をちょっと考え始めると、よくあんな就職活動をしたなと怖い気持ちになってすごく身が引き締まる気持ちがしたり、また面接官に言われた指摘事項とかの意味をちゃんと理解できるようになって、ただただ「ああ、俺ってガキだったな」と実感した。


普通は就職活動中とかに真剣に将来を悩んだり、苦労して成長するんだろうが、僕の場合は、就職活動後にポンっと意識が変わって、それまでの生き方を振り返り、反省する部分は受け入れられるようになった感じ。





2003年は、けっこう自分の中での価値観の軸みたいなのが、構築された時期だと思う。

学生時代の就職活動中ぐらいから、いろいろな人と知り合うようになり(悪友HDKさんと知り合ったのもこの頃)、それなりに顔も広かった僕は、会社に入ってからも、ますます社交的な世界観の広がりに楽しさを見出すようになっていた。

そして2002年頃には、雑誌やテレビに出ている著名な方々や、社会でエリートと言われる職業の方々、お金持ちの方々と、西麻布のレストランやバーと交流することが多くなっていた。


ただ、社会人になって1年が経つか経たないかと言う時期で、最初こそ、そういう世界がちょっとは新鮮で興味深かった部分もあるのだけど、一方で、高田馬場で全開放的な魂と魂の酒(?)を交わしてきた僕からすると、そこにすっごい表面的だったり病んだ人間関係みたいなのもたくんさん見えてしまった。

誕生日会とか理屈つけないと集まれない程度の薄い関係の人間が、物とか地位で必死に自分を顕示している姿が虚像にしか見えず、富んでいるように見えて充足感の欠如に貧弱に悩んでいる姿を見て、「ああ、幸せって、必ずしも派手なもんじゃないんだな」ってことを僕は思うようになった。


そして、むしろ気兼ねなく数人の親友、仲間と安酒を飲み交わせることがはるかに幸せなんだと気づき、それにも関わらず、僕は大事な仲間を目先の仕事や社交のために疎かにしたり、そもそも仲間のために汗をかくことをしていないじゃないかと言うことを心底、反省したのが2003年だった。

でも、これは新たな気づきと言うよりは、大学時代に当たり前だった仲間との掛け替えの無い時間の大切さを、いつの間にか見失ってしまっていて、それをちゃんと再認識した感が強い。


あの頃の僕は、地位とか職業とかに興味が無く、むしろ富むことは他人からの搾取だぐらいに思いながら(別にマル経派じゃないですよ・・・)、愚直に目の前の仕事をこなし、ワタミでせっせと飲んでいて、たぶん仙人のように健全な人だったと思います。。。



そこから、今は、多少の俗物的な欲とかは出てきていると思うが、でもやはり根底に、親友、家族こそが人生を豊かにするんだと言う揺るぎないプリンシプルが自分の中にある。



ついで2006年についても、いろいろと感じることがあるが、今宵はもう寝ることします。

寝て忘れてしまったら、ま、その程度のことだったってことで。
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by dskblog | 2006-10-16 02:59 | 想い